ぽっぽのブログ「キジトラとハチワレとキジ白猫」の奮闘記

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<span itemprop="headline">ペット産業</span>

悪質な子犬工場"パピーミル"を減らすために、私たちが出来ること

2016/11/1 16:50 わんちゃんホンポ

ペットショップのショーケースの中で、愛らしい姿でお客を和ませてくれるペットたち。
そんなペットたちの親はどのような環境で生まれたのでしょうか。みなさんはご存知ですか?
多くのペットショップは小売業であり、その卸業が存在します。
動物愛護法が改正した結果、近年では、倒産したペットビジネス業者が増えつつあります。
もちろん優良なブリーダーや、ペット業者もたくさん存在しますが、未だ法をかいくぐって存在している悪質な業者も。
残念なことに、近年ではそれらを支える新たなビジネスも増えてしまったそうです。
今回は、そんな悪質なペット産業をどうやったら減らせるのかを考えていきたいと思います。

子犬工場パピーミルの実態

『流行りの犬がほしい』
『小さい犬がほしい』
『可愛いのがいい』
『病気の犬なんてもってのほか』
人々の、そんな欲求の犠牲になった犬たちがいます。
利益を上げるために、生産の原価を下げることを優先させ過ぎた悪質なパピーミルでは、不衛生で所狭しとケージが並ぶ中、親犬たちは生きるのに必要最低限の量の粗悪なエサを与えられ、その体はガリガリに痩せ細り、糞やダニまみれの中で震えながら子育てをしています。
そして、親犬は子犬と引き離されたら、出産の傷も癒えぬまままた次の繁殖を強いられ、散歩に出してもらうこともないまま、柔らかいベッドで眠ることもないまま、人から一度でも撫でてもらうこともなく、一生を汚れた狭いケージの中で終えてしまうのです。
子犬工場(パピーミル)には、
「ここから出して!!」
と泣き叫ぶペットたちの、悲しそうに吠える声が常に鳴り響いています。

生まれた子犬たちの行く末

パピーミルで生まれた子犬たちは、売りものになる子と、売りものにならない子に分けられ、売り物になる子はペットショップへ。
そして売り物にならない子は親犬として繁殖に回されるか、ペット業界の新たなビジネスである”引き取り屋”へ。

引き取り屋について

動物愛護法が改正され、以前は保健所で引き取られ殺処分されていた犬猫たちは、今では行政がペット業者に対して引き取りを断ることができるため、そこで引き取ってもらえない犬猫や売れ残った犬猫たち、または上記の様に売り物にならないペットたちを、有料で引き取る業者が出来ました。
それが"引き取り屋"と呼ばれる業者です。
引き取り屋によって引き取られたペットたちは、その命が絶えるまで狭いケージに押し込まれ、エサや水は与えられますが、それ以上の世話はされません。
病気の犬や猫がいても治療をせずに放置されるので、一緒に収容されている他のペットたちに病気が蔓延し、中にはパピーミルよりひどい状態の所もあるそうです。
しかしこれは、需要があるからこそ、そういうビジネスが出来上がるのです。
そして犠牲になるのは、言葉を何も話せないペットたちです。

岡山県のとあるペットショップで始まったこと

岡山県岡山市にある、ペットショップchou chou(シュシュ)は、ペット産業のそういった負の連鎖を自ら断ち切ろうと動き出した会社のひとつです。
シュシュではペット関連商品の販売のみで、生体販売は行わず、里親を探すために保護犬を預かっているそうです。
市の保健所から一頭ずつ、店長自ら何度も面会したあとシュシュへ引き取られ、そこで里親探しをします。

動物保護ボランティアや動物病院も

日本各都道府県にある保健所や動物保護ボランティアはもちろん、動物病院の中にも、里親探しをしているところが数多くあります。
しかし、未だ里親が見つからず保護を必要としている動物たちの方が多いのが現状です。
「一人里親が見つかれば、また一頭、新たな命を助けられる。私たちはこの悲劇が終わるまで、それを続けるだけなんです」
これは、ある保護ボランティアのかたがおっしゃっていた言葉です。

悲劇の連鎖を止めるために私たちが出来ること

悲しいことにペットには流行りがあります。
『あのドラマで見たあの猫が欲しい。』
『あのCMに出てたあの犬が欲しい。』
ペットショップでは、お金さえ出せば気軽に犬猫たちを手に入れることができます。
他の買い物同様に、その時の気分で買っただけかもしれませんが、動物たちは懸命に生きていて、当然一つ一つが尊い命です。
その事を理解せず衝動的に飼ってしまうと、取り返しのつかないことも起こり得ます。
親が子を子が親を選べないとよく言われますが、それは飼われた動物たちにとっても同じことです。
そして本当の愛情は、『見た目の可愛さ』や『犬が好き』という気持ちではなく、多くの困難を一緒に乗り越えて初めて湧いてくるもので、それこそが本当の愛情、終生の愛情なのだと私は思います。
気軽に命を増やさない。気軽に命を買わない。気軽に命を捨てない。
消費者である私たちは、「"命"という商品はない」ということに、そろそろ気づく時なのではないでしょうか。